100kmを通して健康のありがたみを感じた出来事をふたつ。
完歩翌日、左足が上がらない!
元々身体が歪んでるのか身体が硬いのか、
左股関節が痛くなりやすい。
低めの階段すら登れない、浴槽の側面を跨げない。
右足を先に行きたい場所に乗っけて、
左足は上げず引きずって上に上げるか、
左足を手掴んで持ち上げてよっこらしょー!と、冗談かと思う所作。
お風呂場の手すりにありがたみを感じたのは初めて。
あそこ汚れ付きやすくてイヤだったんだけどな。
まだ右足で踏ん張れるからマシだけど、
足の筋肉が衰えたら右足の力で無理に引っ張ることもできない。
腕の力が衰えたら手すり掴んで無理矢理身体を引っ張ることもできない。
どんだけ不便なんだろうと思う。
ちょっと出かけるだけでも億劫になりそう。
元気が無くなると娯楽も楽しみづらくなると身を以て感じた。
100kmウォーク中はとにかく暇だし、
足が痛いのを何とか紛らわせるべく音楽を聴こうと思っていた。
30km地点くらいまでは音楽のおかげで割と楽に歩けた。
ヨッシーアイランドのあったかご飯を聞きながら、
あったかご飯♪ あったかご飯♪ を頭で唱えながら歩いてた。
↑ 1回聴くと「あったかご飯♪」にしか聴こえなくなるよ!
このあったかご飯頭で唱える作戦が良い感じで、
「これエンドレスで流せば100kmいけるんじゃね!?」って思ってた。
でも50km超えたあたりから、音楽を聴く元気が無くなってしまった。
しんどくて音楽の存在を忘れてたんではなくて、
「音楽聴くか」→「…やっぱ止めよ。しんどいわ」ってなってた。
亡くなった祖母が入院当初はテレビを楽しんでたのに、
さいごは「テレビを見るのはしんどい」と言ってたのを思い出した。
あのときは感覚がよく分からなかったけど、あれはマジだったんだなと思った。
音楽を聴くのも、テレビを見るのも、ゲームをするのも体力を使う。
身体が元気で気力が無いと、なーんにも楽しめなくなってしまうんだろうな。
身体が痛くて出かけられないし、
インドアでコンテンツ消費する気力も無いとなると、
一体何をして過ごせば良いんだろうか。
お金があっても時間があっても、健康を損なうと何の価値も無い。
FIREした人がよく言う話だけど、健康大事ほんま。
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