界隈ではまぁまぁ見る話題ではないかな?
私は「説得した」、「意を決して伝えた」みたいなことはなくて、
5年くらい?かけてゆるゆるっと意向を伝えていった。
FIREを見越して戦略的にそうしたというワケではなくて、
「自分の考えを分かっておいてほしかった」の延長でFIREした感じ。
親との関係は悪くしたくないしね。
基本的に「自分のことだから自分で考えてやりなさい」のスタンスではあったけど、
「ただしこちらの想像の範疇に限る」みたいなところはあった。
別にうちの親が頭固いワケではなくて、誰しも無意識にそうだと思う。
うちは結構安定志向の強い家だったと思う。
高校生2年生くらいまでは、「地元国公立に行って一生公務員やる」って思ってた。
別にそう仕向けられていたわけではないし圧を感じた記憶も無い。
でも今思えば親の意向は多少感じ取っていたような気はする。
全く記憶には無いけど、
「やっぱり公務員とか安定してるしね~」とか、
「まぁ都会に行っても、まぁ、ねぇ…」
みたいなことは言われてたかもしれない。
たぶん「地元に残って安定した仕事をしてくれれば嬉しい」くらいの
気持ちはあったと思う。
最近になって「最初は何言ってんのかと思った」って言ってたし。
でも話しててそんな感じは受けなかったから、
努めて見せないようにしてたんだろうなと思う。ありがたいなぁ。
どんな話から始めたかハッキリとは覚えてないけど、
確かFIRE云々じゃなくて「投資をしている」という話から始めたと思う。
最初は否定はしてこないけど
「バブルの時痛い目みてるからなぁ~」とか言われた記憶はある。
たぶん良くは思ってなかったと言うか、心配はされてたと思う。
そこから投資アレルギーの人向けの話をしたYouTubeをLINEで送りつけたり、
「これだけ配当もらった~」みたいな話をしていた。
その延長で「これが10倍貰えるようになったら働かなくて良いよね!」
みたいな話もしてた気がする。
そのうち投資に理解はしてくれるようになって、
実家も当面使わない資金はいくらか高配当ETFに入れるようになった。
最近は「配当でもらったドルでこれ買ってみた」とか報告してくれたりする。
「やってみたいから教えて」なんて言われると思ってなかった。
あんまり教えを乞うタイプではなかったから。
そこからもうちょっと責めて、
実際にFIRE生活をしている人のYouTubeを送りつけて、
「こういう生活って良いと思うんだよね」ってLINEしたりしてた。
「サラリーマンが幸せってワケじゃないよね」系の動画とともに、
「これほんまそう思うわ~」と添えてみたり。
あとは「盆正月しか帰れないから、こういう生活だといつでも、
長期でも帰れるんだけどな~」って伝えてみるのはかなり効いてた気がする。
FIREする2年前くらいからは、
具体的に「●●円貯まって、配当これだけもらえるようになって、
仕事に嫌気が差したタイミングで止めようと思ってる」という旨を
ちょいちょい話していた。
「バブル崩壊みたいなことが来て半分になったらどうするん?」
みたいなことをいくつか言われた記憶はあるけど、
その度に「こういう計画でいるから大丈夫」と伝えていた。
あとは「多少大丈夫じゃなくても生きていけないことはない。
このままズルズルいったら後悔するからやってみたい」と
前向き?な感じでも伝えていたのが良かったかもしれない。
FIREを決める半年前くらいには、「自分の時はそんな風に考えたことも無かった。
そういう風に生きていけるなら羨ましくもある」とまで言ってくれていた。
FIRE前1年くらいは「いつ辞めようかな」という話をちょこちょこしていたので、
「ああこいつ近いうちに辞めるやろな」と思われていたと思う。
実家は正社員数人+パートアルバイトレベルの零細企業をやってたんだけど、
私の勤めていた会社とめちゃ関係が深かった。
実家に帰ったときもずっと仕事の話をしていたくらい。
父親がその会社を後任に譲って辞めるタイミングと、
私が会社を辞めるタイミングがほぼ同時期になり、
いまは「そうなる星の元だったよね」
「良かったよね」ということになっている。
会社を辞める前は盆正月しか帰れなかったけど、
最近は2ヶ月に1回以上なんだかんだ会ってると思う。
会社続けていた頃の3倍以上一緒の時間を過ごしてるんじゃないかな。
就職先を実家と関係の深い近い会社にしたのも親孝行を兼ねてたんだけど、
このタイミングで辞めたのもまた親孝行じゃないかなと思ってる。
その後の話もちょっと書きたいけど、2,000文字近くなったから分割!
↓ポチッと応援していってくださーい!